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執筆者の写真霜月 やよい

第十九件 Matrixとカール・マルクス

更新日:2021年1月28日



      「やあ、この時を待っていたぞ。やっと君と話が出来そうだ」


 ようこそ私の部屋へ。君の様な人間の手にこのデータが渡るのを待っていた。このデータは「リンゴ」。君がこの文章を読んでいると言う事は「リンゴ」が君の手に落ちる事を望んだようだ。早速始めるとしよう。次は君の選択だ。    


 その「リンゴ」を手に、私の用意したこちらの椅子に腰掛け1対1で話を進めるか、そっとリンゴを投げ捨て忘れるか、のどちらかだ。


            さあ、自分の頭で考え選択してくれ。


     よろしい、話を進めよう。君が「まだ自由な人」である事を願っている。


 唐突だが、君は運命を信じるか?

君は何かの「偶然」でこのリンゴを手にしている事は理解しているな。次に偶然を必然と置き換えよう。このリンゴを手にしているという事は、偶然の様に見えて必然なのだ。何故なら「君が知る必要がある」から「今」君の手元にある。


 ではなぜ君が知る必要があるのか?

                    

 それは「このリンゴ」が「知らなければならない何か」を伝える目的で「想い」が込められ作成されたからだ。そして「今」君の手元にあると言う事は、君は理解が出来る心の準備を終えている事を意味する。


 ではなぜ私は「何か」を知っているのか?             


 私も君と同じように、私の然るべき時に「知るべき事」を知ったからだ。

君はその「何か」について説明することが出来ない。だが、感じている。自分の全人生において、それを感じてきた。この世界(君が現実と認識している世界)は何か間違っていると。君はそれが「何であるか」知らない。だが、それは確かに存在する。そして君の心の中に棘のように突き刺さり心を惑わせる。その奇妙な感覚の原因が「何か」であり、それを理解出来るように偶然が導いたのだ。  


 私が何について話しているか、分かっているな?


 我々人類は「共存共栄」が使命であり「本能」だ。君が信じ込まされている「それ」は「本能」ではない。君は全てにおいて真実とはかけ離れた事を「現実」として認識させられている。「それ」は至る所に存在する。

我々の周り、今この瞬間、この部屋の中にさえ。君が窓の外を見つめテレビを点ける時も、君はそれを目にすることができる。通勤する時も、酒を飲む時も、税金を払う時も、善行悪行なす時も、娯楽に興じる最中でさえも、君はそれを感じることができる。

「それ」とは、君の目を真実から遠ざけ、盲目にさせてきた世界なのだ


 率直に言おう、君は奴隷なのだ。


 他の者がそうであるように、君もまた囚われの身に産まれ、君が嗅いだり、味わったり、触れたりすることのできない刑務所の中に産み落とされた。「心」を支配する牢獄だ。

 ここで今の君に相応しい言葉を贈ろう


自由でないのに自由と考えてる人間程、絶望的な奴隷はいない


 有名な言葉だ。私の言わんとしている事が簡潔に述べられている一文である。それともう1つ。


賢者は歴史に学び、愚者は己の浅はかな経験にのみ頼る


 君が愚者でない事を祈り話を進める。私が君に伝えたい事は非常に難しい問題だ。なんせ君の心と頭の問題だからだ。私は「先に知っている者」として道案内はする。扉までは。

君が「知るべき事」を知って扉から飛び出すも、知った上で扉を閉じ牢獄へ戻るも君の選択次第だ。長く牢獄へ繋がれていると「知るべき事」を知ったとしても、牢獄の魅力的な誘惑からは中々逃れられない事も私は知っている。


               全ては君の選択次第だ


 微力ながら手助けをさせてくれ。そうする事が私の運命だから。使命とも言えるだろうか。この文章を通して君に語りかけ、「君の知るべき事」を理解する手助けになればと思い綴っている。「まだ自由な人」よ、囚われの身となっている己の精神を助け出し、扉を開け一歩踏み出してくれ。

 現在、君は君の心の囚人なのだ。君の思い込みがそれを現実にする。君が自ら己の手足に枷をはめ、鍵の無い牢屋に自らおもむき、自らの手で内側から閂をかけ、目と口を閉じ耳を塞ぎ永遠に奴隷になるのだ。その奴隷が家族を形成し子孫を作り、自ら子孫を奴隷制度に就かせる。この繰り返しは私の知る限り、本当に歴史が正しいのなら数百年前には確立され、時代と共に変化と進化、それに伴い拡大を遂げ昇華した。そう、君に残酷な真実を告げなければならない。

 

       我々の住む現代は、極少数の人間によって支配されている。

            映画や小説、絵空事の話ではない。




 ちょっとビックリしました?ここからはいつも通りのわたくしの文です。冒頭の文章はどこの誰か分かりませんが、ネットで拾った自作小説PDFの一文を拝借致しました。ネットでマニアックな事を検索していますと、たまにマニアックな論文やらマニアックな小説やらが引っかかりますの。数字オタクであり文章オタクのわたくしは、そういったものを集める”癖”がございまして、本件は”そこ”から引っ張り出してきた文章で初めてみました。


 なぜこの文章を選んだかと申しますと、この文は映画「マトリックス」の1シーンを拝借し書かれており、また、そのシーンはこの世の真を見事に突いている場面でもあるからです。(37秒〜)



 ここで本稿のタイトルと文章が繋がりましたね。では、マトリックスとカール・マルクスを繋げましょう。マトリックスという映画は”現代版神話の集大成”とでも申しましょうか、沢山の象徴が登場します。それらの共通点といったら、”現実の象徴と同じ”だという事です。まずはタイトルから始めましょう。マトリックスとは" 現代 = IT時代 "の神話です。その時代を取ってみましょう。マトリックスから”IT”を抜きます。


MATRIX − IT = MARX

 青い資本主義と赤い共産主義の二大思想を生み出したカール・マルクス / Karl Heinrich Marx の名前になります。どれくらい特別な人間かは、生まれと死の時間をみれば分かります。


1818年5月5日 - 1883年3月14日

ニュートンがメイソンロッジをまとめたのが1717年。101年後が1818年です。

フィボナッチナンバーの11番目は”55”です。

πは数字で”3.14”です。


 偶然?考え過ぎ?


 いいえ、科学教の御神体アインシュタインとホーキング博士の生死の日付も並べてみれば分かります。また、両名は王立協会会員です。


アインシュタイン 1879年3月14日 - 1955年4月18
ホーキング    1942年1月 8日 - 2018年3月14日
1942 ー 1879 = 63
2018 ー 1955 = 63

 こうゆう事が分かっていますと、「冒頭の文章」や「マトリックス」という映画は別物になります。よろしいですか。マトリックスとはマルクスが創り出した思想の事です。そして、思想=システムです。善悪の価値観もシステムの一部です。そのシステムの中ででしか物事を考えられません。モーフィアスも映画内でそう申しております。



 上の動画には赤い女が出てきますでしょ?マトリックスに限らず、様々な映画や漫画等の娯楽媒体においても赤い女が象徴的に使用されている事にお気づきでしょうか?それらは全て以下の象徴です。



 ヨハネ黙示録の一場面です。龍のうしろの赤い女の事です。某巨大宗教ではバビロンの淫婦と定義され悪の象徴ですが、ホントの所はフェニキアの事です

 海洋民族フェニキア人の有名な逸話に貝の染料の話があります。当時唯一、高い航海技術をもっていたフェニキア人は貝からとれる希少な染料を使い莫大な富を得たと言われます。その染料の色が、「紫色」「緋色」だったために フェニキア=赤紫 となり「赤い女」と象徴されました。また、フェニキアは「カナン」とも言われます。


 フェニキアもカナンも、どちらも某巨大宗教内において悪の象徴です。


 しかし、現実ではどこの国の王族や貴族、また某巨大宗教においても、最上位の色は「紫」ですおかしな話ですね。また、日本の最高額紙幣の1万円札にも鳳凰がいますでしょ?現在のメディアを統合してます「角川」のロゴもフェニックス。漫画の神様の代表作も「火の鳥」。


 偶然? だから違いますって。全部出来上がっているのです。正にMatrixです。

  • 福沢 諭吉 1835年1月10日  (天保5年12月12日) 〜 1901年2月3日 (明治34年)

  • 手塚 治虫 1928年11月3日  (昭和3年11月3日) 〜1989年2月9日 (平成元年


 諭吉の生まれがおかしな事になっているのは、この頃に旧暦から西暦に変わったからです。ミトラ教の7曜がぶち込まれたのです。マトリックスのお話に戻りま〜す。



            主人公ネオの誕生日は9月11日です。


 NeoとはNewです。また、NeoのアナグラムはOneであり唯一神=救世主を指しています。救世主とはヨハネ黙示録に記されている終末論が起こされた時に救ってくれるという設定の人間の事です。それらを踏まえて映画の結末を考えてみましょう。


 映画では最終的に、赤と青をネオが統一して新しい世界が産まれます

そして、それらはわたくし達が自らの手で選びそうします。そうなるように設定されていますから、わたくし達の頭の中が……


 一風変わった本件、いかがでしたでしょうか?冒頭の文章を書いた方の書けない部分を勝手ながら書いてみました。また、冒頭の文章は映画の台詞以外に大分加筆されています。そこら辺の思いを読み取ってみてはいかがでしょうか?


 結構意味深な文章ですよ。


 最後に、主人公達が乗る船の名前の象徴からいくつか繋げてご紹介し締めと致します。登場人物の名前の意味は検索を掛ければすぐに分かりますので割愛します。大体が某巨大宗教がらみの名前ですし……


ネブカドネザル MARKⅢ・No.11

 主人公が乗る船の名前と型番です。ネブカドネザルとはバビロン捕囚を行ったバビロニア帝国の王の名です。型番のMARKⅢ・No.11の意味は、マルコの福音書 3章 11節を指します。

マルコの福音書 3章 11節
 また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。

 主人公NeoのアナグラムはOne=救世主です。主人公が乗るに相応しい船の型番です。


 そのNeoを助ける役割のキャラはエグザイルと呼ばれます。エグザイルとは上記のネブカドネザルが行ったバビロン捕囚の”連れ去られた捕囚”を意味します。映画では、日本人のエグザイルが登場します。彼はキーメイカーと呼ばれる鍵師で主人公を助けますが最後は銃弾に倒れます


 この映画の第一作目の公開日は、

英国は1999年6月11日
日本は1999年9月11日

 ホンット象徴が盛りだくさんでしょ?他の船の名前とかもっと露骨ですよ。興味がおありでしたら是非


 いつもお付き合いありがとうございます。引き続きおつき合いして頂ける事を祈り、モーフィアスのAs Above So Below でお別れです。





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